2013年12月29日日曜日

32. 春道列樹

物部氏の一族。春道という姓も、列樹という名も、実に珍しい。趣のある名前で、現代の芸能人の名前にしても、おかしくない。

官位は六位と低かった。

32. やまかはにかぜのかけたるしがらみは

やまかはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみじなりけり

滋賀の山を越える際に、詠んだ歌。

しがらみ(柵)は、川中に、水流をせき止めるために、木を組み合わせて作るもの。

この歌では、秋の終わり、川一面に散った紅葉を、その柵に見立てている。

自然の出来事を、人間の行う事に例える、典型的な歌の一つ。

31. 坂上是則

最初の征夷大将軍となった坂上田村麻呂の末裔。三十六歌仙の一人。

蹴鞠にもすぐれ、醍醐天皇の前で、リフティングを206回続けて行って、その技を絶賛されたという。



31. あさぼらけありあけのつきとみるまてに

あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき

雪明かりを、月の光と間違える、という趣意は、中国の漢詩にもあるという。おそらく、そこからヒントを得たのだろう。

それを、吉野の地を舞台として詠むことで、都から遠く、山の上にしんしんと降る雪を連想させている。

冒頭の、あさぼらけ、という言葉が、実にいい。

30. 壬生忠岑

壬生家は、甲斐の国造の一族であったという。下級の官人であったが、和歌にすぐれ、『古今和歌集』の選者となった。三十六歌仙の一人。

その子、壬生忠見も、三十六歌仙に選ばれている。

身分は低いが、歌が巧く、歌集の選者になるというパターンはお馴染みだ。

身分が低いから、歌に力を入れた、とも考えられるし、歌が巧いから、芸能担当のような役割で、官位の一人として組み入れられていた、とも考えられる。

30. ありあけのつれなくみえしわかれより

ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし

この歌集の選者といわれる、藤原定家は、後鳥羽上皇に『古今和歌集』における名家を問われ、迷うことなく、この歌を推したという。

まず、この歌を声を出して読むと、よどみなく、すっきりと読み切れる。純粋に、言葉の並びが美しい。

その意味は、ありあけ、あかつき、という自然の世界と、つれなく、うき、という人間の心情の世界が、一つの世界に融合している。

普通に読めば、つれないのは、恋の相手、と読めるが、定家は、有明の月が、つれなく見えた、という解釈をしていた。

いずれにしろ、決して楽しい歌ではなく、憂し、という感情を歌っている。

言葉の美しさ、自然と人間の融合、少しブルーな感情。それらが、わずか51文字の中に、見事に表現していることが、この歌を名歌としている要因なのだろう。

2013年12月28日土曜日

29. 凡河内躬恒

生没年はわかっていない。下級官人で、多くの地方職をこなしたという。

歌人としては有名で、紀貫之らとともに古今和歌集の選者を務めている。藤原兼輔の堤御殿に招かれていたメンバーの一人でもあった。

三十六歌仙の一人でもある。

29. こころあてにおらばやおらむはつしもの

こころあてに おらばやおらむ はつしもの おきまとはせる しらきくのはな

技巧的な歌だ。

菊を歌うようになったのは、中国の影響を受けて、古今集の時代からで、万葉集には菊を歌った歌はないという。

正岡子規は、この歌を、現実には、初霜で菊が見えなくなることはない、と写実の立場から厳しく批判した。この話を、歌の作者が聞いたならば、子規は歌の精神が何もわかっていないと、逆に返したことだろう。

菊と初霜を見間違える、という趣向は、中国の白楽天の歌にあるという。中国の漢詩が日本に伝わると、そこからのテーマの和歌への転用が多くなった。

晩秋の頃、早朝、菊の木に霜が降りていて、まるで花のようになっている、という場面を連想する。

白のイメージ。

28. 源宗于朝臣

源宗于朝臣とは、光源天皇の皇子、是忠親王の子で、官位に恵まれず、臣籍に下り、源氏姓を名乗った。

藤原氏が、宮中の要職を独占する時代にあっては、天皇につながる人物であっても、なかなか職には恵まれなかったのかもしれない。

そうした境遇を知ってこの歌を見ると、単に山里の風景を歌っただけの歌とは感じられなくなる。

28. やまざとはふゆぞさびしさまさりける

やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば

実にシンプルに、冬の季節の山里の寂しい様子を歌っている。四季を通じて寂しいのだが、特に冬は、という部分が、”ぞ”に出ている。

人目も枯れ、草も枯れ、という部分に、その寂しさが凝縮されている。

人間と植物を、同じ視点で扱っているのは、この時代に共通の感覚なのだろう。

この歌を作った人物の境遇を知ると、山里というのは、実際の山里と、自らが置かれた境遇の二つの意味があるようにも思える。

27番の歌とは、そちらが滔々と流れる川を歌っているので、対比的にも見えるが、古都の瓶原を歌っているという意味では、共通する部分も感じられる。

この歌集の中でも、屈指の名句の一つだろう。

27. 中納言兼輔

紀貫之らと交流があった、当時の代表的な歌人。紫式部の曾祖父にあたる人物。

賀茂川の堤に邸宅があったので、堤中納言と呼ばれ、その元には、紀貫之らが訪れ、サロンのような存在だったという。

この歌は、実際は兼輔の歌ではなく、詠み人知らずの歌だったようだ。

この歌集には、そうした歌がいくつかある。果たして、選者は、詠み人知らずと知りながら、それでもその歌が素晴しいので採用したのか、別な意図があったのか。

27. みかのはらわきてながるるいづみがは

みかのはら わきてながるるいづみかわ いつみきとてか こひしかるらむ

瓶原とは、かつて聖武天皇が、一時的に恭仁京を置いた場所。この地を流れる泉川は、現在の木津川のことで、滔々と流れる川、というイメージで歌われている。

その川の名前と、いつ見たのだろうか、の”いつ”の部分をかけて、恋の思いを歌っている。

この恋は、かつて実際に見たことがある人か、まだ見たことがない人家で、解釈が別れている。

自分の思いを、滔々と流れる川のイメージに重ねあわせている。

瓶原、という地名を聞いて、当時の人々は、どのようなイメージを持ったのだろうか。ああ、あそこには、かつて短い間都があったなあ、という程度なのか、あるいは、聖武天皇という存在のことを、強く思ったのだろうか・・・

26. 貞信公

貞信公は、いわゆる諡名。藤原忠平。関白基経の子で、兄は、24番の歌の作者、菅原道真と政治的なライバルだった藤原時平の弟。

兄の時平が、道真の祟りで死んだ後、関白太政大臣の地位に付き、藤原氏の安定に大きな貢献をした。

24番の歌では、道真が同じ宇多上皇の行幸に同行した際に、紅葉を神に捧げているが、この歌では、息子の醍醐天皇のために歌っている。

学問の神で、理想的な政治姿勢を持つ道長と、あくまでも地上の権力にこだわる、忠平の違いを象徴するような内容になっているのが面白い。

26. をぐらやまみねのもみじばこころあらば

をぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ

上皇の大井川への行幸に同行した作者が、天皇になりかわって詠んだ歌。

上皇の前宇多天皇は、子の醍醐天皇に、美しい紅葉を見せたい、と望んだ。紅葉に対して、もう少し咲いていて欲しい、と願っている。

25番の歌と比べると、ある地のある植物を歌い、それを、別な場所にいる人物に思いを馳せる、という構造は同じだが、こちらの方は親子愛であり、より品のある歌になっている。

25. 三条右大臣

三条右大臣。京の三条に住んでいた、右大臣。背景を知らないと、いったい誰のことだか分からない。

藤原定方。父は、内大臣だった高藤。子に、44番の歌の作者である朝忠がいる。

醍醐天皇の時代に活躍し、紀貫之らの身分の低い歌人たちの、庇護者でもあった。

25. なにしおはばあうさかやまのさねかずら

なにしおはば あうさかやまのさねかずら ひとにしられで くるよしもがな

逢坂山に生えている真葛という植物の名前を使って、言葉遊びで、相手に恋の誘いをしている。

逢坂山から会う、真葛(さねかずら)から寝る、という言葉を連想させている。

葛はツル形の植物なので、男女の形を連想させ、よくよく考えて見ると、かなりキワドイ内容になっている。

2013年11月27日水曜日

24. 菅家

菅家、ご存知、天神様の菅原道真。

自分を取り立ててくれた、宇多天皇が上皇になってからの奈良への行幸に随行したときの歌。

神に紅葉を手向ける、というシチュエーションは、後に天神様となる道真を意識して、この歌が選ばれたのかもしれない。

東風吹かば・・・の有名な歌が、春の歌であるのに、この歌集に選ばれたのは秋の歌。そうした部分にも、選者の意図が感じられる。

24. このたびはぬさもとりあへずたむけやま

このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

神に祀るための幣がないので、代わりに、目の前にある美しい紅葉を、お収めします、という内容の歌だが、技巧が随所に取り込まれている。

このたびは、この度とこの旅。たむけやまは、手向ける、という行為と手向山。

最後の”まにまに”は、どうしてまにを続けたのだろうか。しかし、この繰り返しが、不思議な感覚を与える。

前の歌が、一人寂しい秋の歌だが、この歌は、一転して、華やかなイメージの秋の歌になっている。

2013年11月21日木曜日

23. 大江千里

在原業平、行平の甥子。

あまり詳しいことがわからない人物だが、その名前は、よく知られている。

23. つきみればちぢにものこそかなしけれ

つきみれば ちぢにものこそかなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

『白氏文集』に収録されている漢詩から題材を得て、詠まれたといわれている。

月とわが身、もの悲しいと秋、という対比がされている。この対比は、漢詩での基本的な手法。

和歌と漢詩の特徴を知り尽くした名人による、しかし、そうした事情を知らなくても、十分にその趣を味わえる、名句。

2013年10月12日土曜日

22. 文屋康秀

文屋康秀の文屋、という名字は、他に聞いたことがない。

家自体は、低い身分の家だった、という。

しかし、文屋康秀は、古今集の仮名序にも登場するほどの、歌の名手だった。

22. ふくからにあきのくさきのしほるれば

ふくからに あきのくさきの しほるれば むべやまかぜを あらしといふらむ

嵐という字は、山と風という字から構成されている。山から吹く風は、草木を荒らしてしまうので、その嵐という字が生まれたのだ、との解釈をそのまま歌っている。

いかにも優雅でお気軽な貴族社会的な内容の歌になっている。

中国の六朝文化の離合詩というジャンルは、こうした文字の造りや意味を扱った作品が多く、その影響を受けたと言われている。

前の歌と同様に、秋をテーマにしている。

秋というと、穏やかで静かなイメージがあるが、この歌では、山風が草木をしおらせてしまう、という激しい秋のイメージを歌っている。というより、次の冬が近づいている、ということなのかもしれない。

21. 素性法師

素性法師は、遍照法師の出家前に設けた子。

当初は宮廷人を務めていたが、後に、父と同様に出家した。

宇多天皇の庇護を受けていたという。

古今集では、四番目に多く歌が採用されている。

それにしても、僧侶で歌人というパターンが多い。皇族や貴族から僧侶になる場合は、真面目に仏道を行うのではなく、歌や書などの世界に力を入れたのだろう。

21. いまこむといひしばかりにながつきの

いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいづるかな

実に、わかりやすく、そして、読みやすい歌だ。

解釈については、選者といわれる定家は、いつのまにか秋になってしまった、という、長い期間を待ち続けた、という解釈をとっている。

一般的には、一晩待っているうちに、有明の月が出て来てしまった、という、一夜の出来事、という解釈が行われている。

恋する人の言葉を信じて待ち続ける女性。秋の夜。有明の月。あまりにも、紋切り型になりがちな題材を使い、これほどの歌にしたてるあたり、かなりの技術力の高さが感じられる。

20. 元良親王

その奇行から、天皇の座から追われた、陽成天皇の第一皇子。

そうした背景から、天皇にはなれず、その代わりのように、歌や恋に生きたのだろうか。

20. わびぬればいまはたおなじなにはなる

わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ

この身を尽くしても、あなたに会いたい、という激しい恋を歌っている。

前の歌と違い、こちらは、最初と最後に心情が歌われ、間に情景が入って、それが後半の心情表現との掛詞になっている。

”澪標”と”身を尽くす”というシャレになっており、澪標という言葉自体が、恋する相手のために身を捧げる、という意味にもなっている。

前の歌と同じく、難波を舞台に、激しい恋の思いを歌っている。難波という土地には、そうしたイメージがあったのだろう。

冒頭の、わび、という表現は、後世の侘び、とはかなり意味が違っている。

2013年9月15日日曜日

19. 伊勢

恋大き女性の代名詞のような人物。

藤原仲平、時平の兄弟と関係がありながら、宇多天皇の子を宿し、その子が早世した後は、その宇多天皇の別の皇子の子も産んでいる。

歌の内容は、そうした恋多き人物にピッタリの内容。

女性らしいとか、奥ゆかしい、という一般的な女性のイメージとはほど遠い、まさに、恋に生きる女性。

武士の時代が訪れるまでは、こうした女性は、それほど特別ではなかったのだろう。

19. なにわがたみじかきあしのふしのまも

なにわがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや

前半で情景を歌い、後半に心情を歌っている。

その間にある、葦の節の間、という部分が、両者をつなぐ役割を果たしている。

難波潟に、葦が一面に広がっている広陵とした雰囲気が、後半の、会ってくれない恋人を恨んでいる、読み手の心の悲しさを、より強調している。

密集している葦の間、ということは、ほんのわずかな間、という意味合いで、その短い時間でさえ会ってくれない、という恋の恨み節。

どうやって、この世を過ごしていけばいいのか・・・

技巧的には、かなり高度な歌だ。

18. 藤原敏行朝臣

能書家としても有名。

妻は、在原業平の妻の妹。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

という、この百人一首にとられた歌よりも、よくしられた和歌があるが、選者は、この歌集の方の、技巧生の高い歌を選んでいる。

18. すみのえのきしによるなみよるさへや

すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひじ ひとめよくらむ

現在の住吉大社からは想像もできないが、平安時代には、まだ海がすぐ近くにあったのだろう。

岸に寄る波、のよる、という言葉から、夜を導き、そこから夢を引き出し、幻想的な雰囲気を漂わせている。

実際の世界では会えないので、せめて、夢の中でも合いたいという恋心を歌っている。住吉大社に、その願いを行っている、という意味もあるのだろう。

女性の立場で読んだという解釈と、男性の立場で詠んだという二つの解釈がある。

17. 在原業平

16番目の歌の作者、行平の異母弟。しかし、この弟の方が、兄よりよほど有名。

伊勢物語の主人公とされ、数多くの名歌が残されているが、選者は、あえて、この技巧を駆使した、この歌を選択した。

屏風絵を詠んだ、という珍しさからか、あるいは、あえて違う解釈をとった歌を残したかったのか、知る由はない。

伊勢物語で、全国を旅したと考えられた業平なので、あえて、どこにも行かず、屏風を見て詠んだ歌を、選んだのかもしれない。

17. ちはやぶるかみよもしらずたつたがわ

ちはやぶる かみよもしらず たつたがわ からくれないに みずくぐるとは

屏風に書かれた、紅葉が川を覆っている絵を見て、詠んだと言われている。

作者と選者で、歌の解釈が違っている。作者は、くぐるを染めると意味し、選者はくぐるを潜ると解釈した。

作者の意図と違う解釈をしたということが、選者としての定家の凄さだろう。現代における、評論活動の独立性を、古代の昔に、すでに行っていた。

いずれにしろ、和歌としての技巧に溢れていて、浮世離れした平安貴族の和歌、という印象だ。

2013年8月25日日曜日

16. 中納言行平

平城天皇の皇子、阿保親王の子で、弟の業平とともに、臣籍降下した。

須磨に流された時期もあったという。

天皇の孫であっても、地方に流されてしまう、そんな時代だった。

この歌を歌い、因幡に赴任してから、およそ2年余りで、再び都に戻ったという。

16. たちわかれいなばのやまのみねにおふる

たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかえりこむ

地方に赴任して行く際の、別れの歌。

いなば、という言葉に因幡と、その地にある稲羽山を、まつ、という言葉に待つ、と松を掛けている。

別れの悲しさを、こうした言葉の遊びで演出するのが、当時の貴族の、習慣だったのだろう。

藤原俊成は、この歌を懲り過ぎとして評価せず、その子の定家は、逆に、その故に評価したという。

15. 光孝天皇


第58代目の天皇。13番の歌の陽成天皇の次に、藤原基経によって、55歳という年齢で、天皇にさせられた。

政治を基経にまかせ、藤原氏による関白独占の始まりになった、と言われている。

本人は、いたって謙虚で、人徳に厚かったと言われている。

13番の歌の陽成天皇の歌と比べると、二人の性格が、より対照的に見える。

15. きみがためはるののにいでてわかなつむ

きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ

百人一首の中でも、屈指の名句の一つだろう。

言葉が流れるように並んでいて、まったく、不自然さを感じない。

今日から見ても、難しい、あるいは、わからない言葉も一切ない。

見方によっては、深みがない、味がないという、ということになるかもしれない。

若菜という春の言葉と、雪という冬の言葉が同時に登場し、季節の変わり目を、見事に表現している。

最初に春を出し、後に、冬を出しているのが、さらに効果的だ。

その最後の部分は、いわば”落ち”になっており、雪が降っている寒い中で、愛する人のために、若菜を摘んでいる、という情景が浮かび上がる。

2013年8月24日土曜日

14. 河原左大臣

河原左大臣とは、源融のこと。

嵯峨天皇の十二番目の皇子。臣籍に下り、源を称し、従一位左大臣まで登りつめた。

陽成天皇が即位し、藤原基経が摂政となったため、その地位を退いた。

東六条に、広大な河原院という屋敷を作り、東北の塩釜の風景をもした施設を作り、わざわ海から海水を運ばせて、塩を作ったという。

源氏物語の光源氏のモデルとも言われている。世阿弥の能『融』も、そこから題材を得ている。

14. みちのくのしのぶもぢすりたれゆえに

みちのくの しのぶもぢすり たれゆえに みだれそめにし われならなくに

陸奥の名産である、乱れ模様の染物と、自らの恋に乱れる気持ちを掛けて、心を乱すのは、自分のせいではなく、相手のせいだと、恋の相手を責めている。

13番目の歌と同じ、地方の名産を冒頭に登場させ、相手を恋する気持ちを、言葉遊びによって、間接的に、表現している。

しかし、印象は、こちらの方が柔らかい感じがする。

13. 陽成帝

わずか9才で、父の清和天皇を継いで天皇になりながら、奇行が多く、摂政の藤原基経によって、退位させられ、その後、60年にわたり、上皇として、生涯を送った。

清和源氏は、父の清和天皇ではなく、この陽成天皇の子供がその祖であるともいわれる。陽成天皇のマイナスなイメージを避けたためだともいう。

ややエキセントリックな感じを受ける歌は、そうした複雑な人物像をイメージさせる。

この歌は、宇多天皇の妹にあたる妃の一人、釣殿宮綏子内親王に贈られたもので、その後、二人は結婚している。

13. つくばねのみねよりおつるみなのかは

つくばねの みねよりおつる みなのかは こいぞつもりて ふちとなりつる

古代から歌垣がおこなわれていたという、筑波山を歌材としている。

そうした伝説を裏付けるような名前の男女川という地名を使い、そこに恋が積もって、淵になった、という言葉遊びをしている。

おそらく、本人は訪れたことがない、頭の中にある知識のみから詠まれた歌だが、そうした空想を歌うことで、自分の恋心を表している。

あるいは、そうした自分の恋心自体も、実体がなく、単なる歌、だけなのかもしれない。

2013年6月29日土曜日

12. 僧正遍照

桓武天皇の孫にあたる。

仁明天皇の元で高官の役職を勤めたが、天皇の死後、比叡山に出家した。円仁、円珍に師事し、その後、僧正まで上り詰める。

この歌は、まだ宮廷にいた頃に詠んだとされる。

12. あまつかぜくものかよいぢふきとぢよ

あまつかぜ くものかよいぢ ふきとぢよ おとめのすがた しばしとどめむ

宮廷で、大嘗祭や新嘗祭で行われる、五節の舞で舞っている舞姫を、天女にみたてて詠んだ、といわれる。

五節の舞という行事は、吉野に逃れた天武天皇が、祭りを行っている時に、天女が現れた、という伝説に基づいている。

天武天皇の妻、持統天皇は、この和歌集の2番目に登場している。

冒頭の天つ風ということばは、天女を連想させる。

風に対する祈りの歌としては、菅原道真の、東風吹かば、という歌を思い出す。

先の参議篁の歌と同様に、他人に対する依頼、願いをテーマにした歌になっている。

11. 参議篁

小野篁。小野小町との関係は、よくわかってはいない。

遣唐使船を巡って、正史と一悶着を起こし、それを皮肉った歌を作ったことで、嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐の島への島流しにあった。その時の歌。

この歌集の選者といわれる藤原定家は、それとは少し違った状況を経験している。

自分が使えていた後鳥羽上皇は、鎌倉幕府に対抗して敗れ、隠岐の島に流された。始めはその上皇に厚遇された定家だが、その後は、両者の関係は悪化した、といわれている。

続く、文徳天皇からは厚い信頼を受けていた。書の名人としても知られている。和歌よりは、漢詩の方が巧みであったようだ。

11. わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと

わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

作者が、天皇の命で、隠岐の島に島流しにされ、その旅立ちの際に詠んだとされる。

前半で、一度意味が切れており、後半は、その前半を受けて、いわば展開部となっている。

最後に、依頼している相手を置いて、体言止めとしている。全体の構成としては、かなり凝った構成。

綿の原、八十島、漕ぐ、海人の釣船など、一貫して海を連想させる言葉を使っている。

2013年6月21日金曜日

10. 蝉丸

逢坂の関の近くに住んでいた隠者、と言われるが、その生涯は不明。

生き物の名前と、丸という名前から、猿丸太夫、という人物との共通性を感じる。

蝉、という言葉から、この世のはかなさ、が連想され、この歌の内容ともマッチしている。

10. これやこのいくもかえるも

これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき

逢坂の関において、人々が行き交う様子を読んだだけの歌だが、ことばの繰り返しが頻繁に行われ、独特のリズム感を醸し出している。

別れる、知らない同士、という部分が、人生の無常観を暗示している。暗示という点では、1つ前の小野小町の歌との共通点がある。

逢坂の関、という実在の地名があることで、そこに行ったことがある人は、その風景を思い出し、そうでない人は、この歌から情景を想像する。

地名に染み付いたイメージを使って歌を作っている。

前の歌と同様、ここでも、真ん中の、別れては、が効いている。行くも帰るも、という部分と、知るも知らぬも、という部分を、自然につなげている。

9. 小野小町

持統天皇に続いて登場した二人目の女性の歌人。

女性の歌人としては、日本の歴史の中でも、最も有名な人物の一人。

その生涯は、数多くの伝説の中にある。多くの能や歌舞伎などにも登場している。

自分の美しさを花にかけていたせいで、婚期を逃し、生涯独身に終わった、という伝説を、まさに象徴するような歌が選ばれている。

9. はなのいろはうつりにけりな

はなのいろは うつりにけりな いたずらに わがみよにふる ながめせしまに

言葉を文字通りに解釈しても意味が通じ、それがまたもう一つの意味を持っているという、暗喩の技法を使った典型的な歌。

花の色が、長雨の間に変わってしまう、という文字通りの意味の裏に、女性としての美しさが、人生の流れと共に、消えていってしまう、という意味が隠されている。

ちょうど真ん中におかれている、徒らに、がよく効いている。その前後の語句を、自然に結びつけている。

ながめ、という長雨とかけている部分は、雨という言葉が、女性の涙も連想させる。

雨とは、農耕民族にとっては、恵みの象徴であるはずだが、貴族社会においては、余計なもの、うっとうしいもの、という存在になっている。

美女伝説が残されている作者の歌ということも、よけい、この歌の裏の意味を、趣の深いものにしている。

2013年6月13日木曜日

8. 喜撰法師

生年や没年も不明。宇治に住んでいた、ということしか知られていない謎の人物。

歌の内容からは、他人の意見に左右されず、我が道を貫く人物像が想像できる。

法師、とあるのでは、仏僧なのだろうが、宗派に属さず、一人離れて暮らしていたようだ。

なんとか法師、という存在の、ある種のパターンを象徴している。

この前の5番目と6番目の歌と同様に、有名な人物と、無名の人物を組み合わせている。

8. わがいほはみやこのたつみ

わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいうなり

しかぞ住む、という部分が良くわからない。

宇治という地名と、憂し、憂鬱という意味をかけている。やや理屈っぽいが、こうした言葉遊びは、和歌のパターンの一つ。

辰巳、鹿、という動物の名前を読み込んで、宇治という土地のイメージを作っている。

前の歌の奥ゆかしさ、と比べると好対照な歌だが、故郷を思う望郷の歌と、自分の住処の歌とは、共通する部分もある。

冒頭で我、つまり自分という言葉を出し、最後の部分に人つまり他人という言葉を使い、対象的な構成にしている。他人はこういうけれど、自分はこう思う、というのも、和歌の一つのパターン。

2013年6月10日月曜日

7. 安倍仲麿

遣唐使の一員として、吉備真備、玄昉らとともに唐にわたった。当時の唐は、玄宗皇帝の治世の時代で、唐の最盛期だった。

当時の日本は、発展途上国。しかし仲麿は、玄宗皇帝にも覚えが高く、多くの中国人の友人にも慕われていたという、まさに国際人だった。

この歌は、日本への帰国に際して歌った歌。しかし、仲麿の乗った船は座礁し、仲麿は唐にもどり、ついに日本の地を踏むことはなかった。

この歌は、伝聞で伝わったのか、あるいは、別の人物の歌を、彼の境遇に当てはめたのか。

この歌集が編まれた頃は、日本から宋に渡り、向こうで役人として活躍するなどは、あまり想像できなかったのではないか。

7. あまのはらふりさけむれば

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

望郷をテーマにした歌。

異郷の地で月を見て、故郷の景色を思い出すという趣旨だが、その主題の月を、最後に持ってきていて、短い歌の中に、ストーリー性を生み出している。

天の原は、前の歌の解釈を天の河とみれば、前の歌とのつながりが読み取れる。

天の原という一般的な名称と、春日の三笠の山、という具体的な地名を並べているのが面白い。

物語の背景を知れば、唐の地ということになるが、場所は特定されていないので、別な場所を想定することもできる。

かも、と最後に言い切っていないのが、この歌を嫌味のないものにしている。

2013年6月9日日曜日

6. 大伴家持

歌集には、中納言家持とある。

大伴旅人の息子で、万葉集の編者といわれており、父親とともに、多くの歌が万葉集に採用されている。

大伴という家は、古くらかの豪族で、勢力を誇っていたが、次第に、藤原氏に権力を奪われていった。

家持の子孫の、伴大納言の代になり、謀反の疑いをかけられ、完全に失脚してしまう。

この歌に物悲しさを感じるのは、そのせいかもしれない。

6. かささぎのわたせるはしに

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

前の歌に続き、ぞ、という言葉で、意味を強調する手法が使われている。

橋の意味について、地上の橋か、天の川か、解釈が分かれるという。

鵲という鳥の名前で始め、そこであるイメージを読む人の心に作らせる。

その後、橋に焦点が移り、さらに、その橋の上の霜に視点がいき、最後に情景が読まれる。映像にできそうな、見事な描写。

2013年6月8日土曜日

5. 猿丸太夫

どんな人物なのか、構成には全く伝わっていない、謎の人物。

実在しなかったとか、別な人物の仮の名ではないかなど、いろいろと言われている。

猿という名前で、奧山の歌、ということで、山に何かの縁のある人物かと、連想してしまう。

5. おくやまにもみじふみわけ

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

この歌集の中でも屈指の名歌。

紅葉の視覚、鹿の声の聴覚、そして、もの悲しい、という感情、が見事に調和している。

おくやま、もみじ、なく、しか、こえ、あき、かなし。いずれも、あまりにも当たり前すぎる言葉だが、それを組み合わせることで、これだけの名歌が生まれる。

また、わずかこれだけの言葉で、いかの多くのことが表現できるか、の見本といえる。

4. 山部赤人

柿本人麻呂とともに詩聖と讃えられる、万葉集のスーパースター。

時代は、人麻呂よりやや後の、聖武天皇の時代に活躍した。

この歌や吉野を歌った歌などがあり、旅を多くしたといわれる。聖武天皇にいつも随行していた、ということも言われている。

山部という名前から、山に何か関係のあった役職だったのかもしれない。

4. たごのうらにうちいでてみれば

たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

いきなりの字余りが、2つも続いて始まる。

そして、何よりも持統天皇の歌との共通性を強く感じる。白妙という枕詞、富士山という特定の山の名前。

万葉集では、富士山を讃える長い歌の反歌として紹介されており、昔から神聖な山として、富士山が扱われていることがわかる。

富士の高嶺に雪は降りつつ、はそのまま読むと、まるで頂上に雪が降っている情景を見ているように解釈でき、前半の部分と整合性がない。

うち出でての、うち、という言葉がよく効いている。田子の浦から、目前にそびえる富士山を仰ぎ見ている、という感じがよく出ている。

2013年5月29日水曜日

3. 柿本人麻呂

3人目に登場したのは、続く山部赤人と並ぶ、万葉集のスーパーヒーロー、柿本人麻呂。

前の歌の持統天皇と縁が深く、持統天皇の息子の草壁の皇子を追悼する挽歌を残している。

持統天皇と、それを継いだ草壁の皇子の子、文武天皇の時代に活躍した。

身分は高くなかったようで、その生涯は謎に満ちている。そのせいもあってか、現代に至るまで、多くの人が、人麻呂の生涯や人柄について、自分勝手な解釈を行ってきた。

百人一首が成立した時代にはすでに神格化されていて、この歌も、本当は人麻呂の歌ではないようだ。

前の二人は天皇であるため、天皇以外という点では、この人麻呂が百人一首のトップバッターということになる。

3. あしびきのやまどりのおのしだりおの

あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよるを ひとりかもねむ

意味的には、長い夜を一人寂しく寝ているということ。

その長さを強調するために、上の句があり、そこにはご丁寧にも、枕詞もついている。

山鳥、という言葉だけで、長い尾から長い夜が連想され、そこから、長い夜を一人寝する、という片思いが連想される、というのが、その後のパターンになった。

和歌は、言葉遊びである、ということを、よく表している。

恋する悲しさ、みじめさ、という点では、天智天皇の歌にも共通する点がある。ここでも同じく、の、が何度も使われている。

2. 持統天皇

天智天皇に続き、その娘の持統天皇が2番目に登場する。

冒頭の最初の二人は天皇で、しかも親子。天皇に対する敬意、そして、父から子に王位が継承されるということから、和歌の伝統もそのように伝えらて来たということを意味するのか?

持統天皇は、父の弟にあたる後の天武天皇に嫁ぎ、父の子供、大友皇子とは敵同士となって戦い、その夫の死後、自ら天皇となった。

何とも数奇な運命としかいいようがない。

第1句の天智天皇は、大化の改新という改革を主導しながら、近江への遷都が失敗し、大友皇子への皇位継承も失敗した。それを意識したのか、少し寂しい感じの歌だった。

一方の持統天皇は、その後の政権の基礎を築いた、ということもあってか、実に華やかな、目出たい感じの歌になっている。

2. はるすぎてなつきにけらししろたえの

はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほしてふ あまのかぐやま

天智天皇の第1句とは、まったく趣の違った歌。

春から夏にかけての華やか雰囲気が、その言葉から感じられる。

天香具山という、よく知られた場所も読み込まれている。最後に地名を置くのは、よく使われる手法だ。

しかも、これは、天皇の地位にある人物が詠んでいるということで、国見の歌とみ捉えることができる。

天皇の善政のせいで、天変地異もなく、季節が過ぎ、新しい季節が訪れ、恒例となっていることも、滞りなく行われている、という風にも読める。

今の感覚からすると、ころもほしてふ、のてふ、はしっくりこない。

2013年5月26日日曜日

1. 天智天皇

百人一首の先頭を飾る人物。

この歌集は、ほぼ年代順に作者が並んでいる。しかも、最初の2つと最後の2つは天皇。

天智天皇は、今日でも、大きな改革を成し遂げた人物として知られる。この歌集が作られた時代においても、それに近い解釈がされていたのかもしれない。

万葉集には、天智天皇以前の天皇の歌も多数取り上げられている。それにも関わらず、この人物をここにおいたということは、この歌集の作者が、人物と歌を結びつけるに際して、この天皇以前の人物には、あまりに時代が遠すぎて、感情を移入できなかったのかもしれない。

また、血筋という点では、その後の天皇家は、次の天武天皇ではなく、この天智天皇の娘で、天武天皇の后となった持統天皇の血筋に連なる、という点もあったのだろう。

1. あきのたのかりほのいほのとまをあらみ

あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

季節は秋。自分の衣が露に濡れた、というのは、涙を連想させる。すべてがもの悲しい、秋のイメージを表している。

衣が濡れる、というイメージは、情景と感情の2重の表現として、その後、幾度となく使われることになる。

前半部分に、の、が何度も表れる。少しうるさい感じもするが、リズムともとれなくはない。

歌集の冒頭の歌で、しかも天皇の歌で、みすぼらしい仮小屋で、衣手を袖に濡らしていることをうたった歌を置く、その意味とは何だろうか。

親しみやすい、下々の心が分かる天皇という演出か、あるいは、天皇といえど、歌を歌うということは、一人の人間として、その情景、心を歌うということか。

はじめに

百人一首は、実に面白い歌集だ。

100人の人物から、それぞれ1首の和歌を選ぶ。

100という数。膨大な和歌が収録されている万葉集や古今和歌集と比べ、100はあまりに少なく、逆にとっつきやすい。

選ばれている人物も、すべて実在の人物と考えられ、天皇から、貴族、僧侶、など幅広い。

この歌集を読む人物は、和歌について、どんな風に詠まれているのかを知り、またそれを詠んだ人物にも思いを馳せることができる。