2013年5月29日水曜日

3. 柿本人麻呂

3人目に登場したのは、続く山部赤人と並ぶ、万葉集のスーパーヒーロー、柿本人麻呂。

前の歌の持統天皇と縁が深く、持統天皇の息子の草壁の皇子を追悼する挽歌を残している。

持統天皇と、それを継いだ草壁の皇子の子、文武天皇の時代に活躍した。

身分は高くなかったようで、その生涯は謎に満ちている。そのせいもあってか、現代に至るまで、多くの人が、人麻呂の生涯や人柄について、自分勝手な解釈を行ってきた。

百人一首が成立した時代にはすでに神格化されていて、この歌も、本当は人麻呂の歌ではないようだ。

前の二人は天皇であるため、天皇以外という点では、この人麻呂が百人一首のトップバッターということになる。

3. あしびきのやまどりのおのしだりおの

あしびきの やまどりのおの しだりおの ながながしよるを ひとりかもねむ

意味的には、長い夜を一人寂しく寝ているということ。

その長さを強調するために、上の句があり、そこにはご丁寧にも、枕詞もついている。

山鳥、という言葉だけで、長い尾から長い夜が連想され、そこから、長い夜を一人寝する、という片思いが連想される、というのが、その後のパターンになった。

和歌は、言葉遊びである、ということを、よく表している。

恋する悲しさ、みじめさ、という点では、天智天皇の歌にも共通する点がある。ここでも同じく、の、が何度も使われている。

2. 持統天皇

天智天皇に続き、その娘の持統天皇が2番目に登場する。

冒頭の最初の二人は天皇で、しかも親子。天皇に対する敬意、そして、父から子に王位が継承されるということから、和歌の伝統もそのように伝えらて来たということを意味するのか?

持統天皇は、父の弟にあたる後の天武天皇に嫁ぎ、父の子供、大友皇子とは敵同士となって戦い、その夫の死後、自ら天皇となった。

何とも数奇な運命としかいいようがない。

第1句の天智天皇は、大化の改新という改革を主導しながら、近江への遷都が失敗し、大友皇子への皇位継承も失敗した。それを意識したのか、少し寂しい感じの歌だった。

一方の持統天皇は、その後の政権の基礎を築いた、ということもあってか、実に華やかな、目出たい感じの歌になっている。

2. はるすぎてなつきにけらししろたえの

はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほしてふ あまのかぐやま

天智天皇の第1句とは、まったく趣の違った歌。

春から夏にかけての華やか雰囲気が、その言葉から感じられる。

天香具山という、よく知られた場所も読み込まれている。最後に地名を置くのは、よく使われる手法だ。

しかも、これは、天皇の地位にある人物が詠んでいるということで、国見の歌とみ捉えることができる。

天皇の善政のせいで、天変地異もなく、季節が過ぎ、新しい季節が訪れ、恒例となっていることも、滞りなく行われている、という風にも読める。

今の感覚からすると、ころもほしてふ、のてふ、はしっくりこない。

2013年5月26日日曜日

1. 天智天皇

百人一首の先頭を飾る人物。

この歌集は、ほぼ年代順に作者が並んでいる。しかも、最初の2つと最後の2つは天皇。

天智天皇は、今日でも、大きな改革を成し遂げた人物として知られる。この歌集が作られた時代においても、それに近い解釈がされていたのかもしれない。

万葉集には、天智天皇以前の天皇の歌も多数取り上げられている。それにも関わらず、この人物をここにおいたということは、この歌集の作者が、人物と歌を結びつけるに際して、この天皇以前の人物には、あまりに時代が遠すぎて、感情を移入できなかったのかもしれない。

また、血筋という点では、その後の天皇家は、次の天武天皇ではなく、この天智天皇の娘で、天武天皇の后となった持統天皇の血筋に連なる、という点もあったのだろう。

1. あきのたのかりほのいほのとまをあらみ

あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

季節は秋。自分の衣が露に濡れた、というのは、涙を連想させる。すべてがもの悲しい、秋のイメージを表している。

衣が濡れる、というイメージは、情景と感情の2重の表現として、その後、幾度となく使われることになる。

前半部分に、の、が何度も表れる。少しうるさい感じもするが、リズムともとれなくはない。

歌集の冒頭の歌で、しかも天皇の歌で、みすぼらしい仮小屋で、衣手を袖に濡らしていることをうたった歌を置く、その意味とは何だろうか。

親しみやすい、下々の心が分かる天皇という演出か、あるいは、天皇といえど、歌を歌うということは、一人の人間として、その情景、心を歌うということか。

はじめに

百人一首は、実に面白い歌集だ。

100人の人物から、それぞれ1首の和歌を選ぶ。

100という数。膨大な和歌が収録されている万葉集や古今和歌集と比べ、100はあまりに少なく、逆にとっつきやすい。

選ばれている人物も、すべて実在の人物と考えられ、天皇から、貴族、僧侶、など幅広い。

この歌集を読む人物は、和歌について、どんな風に詠まれているのかを知り、またそれを詠んだ人物にも思いを馳せることができる。