2013年12月28日土曜日

28. やまざとはふゆぞさびしさまさりける

やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば

実にシンプルに、冬の季節の山里の寂しい様子を歌っている。四季を通じて寂しいのだが、特に冬は、という部分が、”ぞ”に出ている。

人目も枯れ、草も枯れ、という部分に、その寂しさが凝縮されている。

人間と植物を、同じ視点で扱っているのは、この時代に共通の感覚なのだろう。

この歌を作った人物の境遇を知ると、山里というのは、実際の山里と、自らが置かれた境遇の二つの意味があるようにも思える。

27番の歌とは、そちらが滔々と流れる川を歌っているので、対比的にも見えるが、古都の瓶原を歌っているという意味では、共通する部分も感じられる。

この歌集の中でも、屈指の名句の一つだろう。

27. 中納言兼輔

紀貫之らと交流があった、当時の代表的な歌人。紫式部の曾祖父にあたる人物。

賀茂川の堤に邸宅があったので、堤中納言と呼ばれ、その元には、紀貫之らが訪れ、サロンのような存在だったという。

この歌は、実際は兼輔の歌ではなく、詠み人知らずの歌だったようだ。

この歌集には、そうした歌がいくつかある。果たして、選者は、詠み人知らずと知りながら、それでもその歌が素晴しいので採用したのか、別な意図があったのか。

27. みかのはらわきてながるるいづみがは

みかのはら わきてながるるいづみかわ いつみきとてか こひしかるらむ

瓶原とは、かつて聖武天皇が、一時的に恭仁京を置いた場所。この地を流れる泉川は、現在の木津川のことで、滔々と流れる川、というイメージで歌われている。

その川の名前と、いつ見たのだろうか、の”いつ”の部分をかけて、恋の思いを歌っている。

この恋は、かつて実際に見たことがある人か、まだ見たことがない人家で、解釈が別れている。

自分の思いを、滔々と流れる川のイメージに重ねあわせている。

瓶原、という地名を聞いて、当時の人々は、どのようなイメージを持ったのだろうか。ああ、あそこには、かつて短い間都があったなあ、という程度なのか、あるいは、聖武天皇という存在のことを、強く思ったのだろうか・・・

26. 貞信公

貞信公は、いわゆる諡名。藤原忠平。関白基経の子で、兄は、24番の歌の作者、菅原道真と政治的なライバルだった藤原時平の弟。

兄の時平が、道真の祟りで死んだ後、関白太政大臣の地位に付き、藤原氏の安定に大きな貢献をした。

24番の歌では、道真が同じ宇多上皇の行幸に同行した際に、紅葉を神に捧げているが、この歌では、息子の醍醐天皇のために歌っている。

学問の神で、理想的な政治姿勢を持つ道長と、あくまでも地上の権力にこだわる、忠平の違いを象徴するような内容になっているのが面白い。

26. をぐらやまみねのもみじばこころあらば

をぐらやま みねのもみじば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ

上皇の大井川への行幸に同行した作者が、天皇になりかわって詠んだ歌。

上皇の前宇多天皇は、子の醍醐天皇に、美しい紅葉を見せたい、と望んだ。紅葉に対して、もう少し咲いていて欲しい、と願っている。

25番の歌と比べると、ある地のある植物を歌い、それを、別な場所にいる人物に思いを馳せる、という構造は同じだが、こちらの方は親子愛であり、より品のある歌になっている。

25. 三条右大臣

三条右大臣。京の三条に住んでいた、右大臣。背景を知らないと、いったい誰のことだか分からない。

藤原定方。父は、内大臣だった高藤。子に、44番の歌の作者である朝忠がいる。

醍醐天皇の時代に活躍し、紀貫之らの身分の低い歌人たちの、庇護者でもあった。

25. なにしおはばあうさかやまのさねかずら

なにしおはば あうさかやまのさねかずら ひとにしられで くるよしもがな

逢坂山に生えている真葛という植物の名前を使って、言葉遊びで、相手に恋の誘いをしている。

逢坂山から会う、真葛(さねかずら)から寝る、という言葉を連想させている。

葛はツル形の植物なので、男女の形を連想させ、よくよく考えて見ると、かなりキワドイ内容になっている。