桓武天皇の孫にあたる。
仁明天皇の元で高官の役職を勤めたが、天皇の死後、比叡山に出家した。円仁、円珍に師事し、その後、僧正まで上り詰める。
この歌は、まだ宮廷にいた頃に詠んだとされる。
2013年6月29日土曜日
12. あまつかぜくものかよいぢふきとぢよ
あまつかぜ くものかよいぢ ふきとぢよ おとめのすがた しばしとどめむ
宮廷で、大嘗祭や新嘗祭で行われる、五節の舞で舞っている舞姫を、天女にみたてて詠んだ、といわれる。
五節の舞という行事は、吉野に逃れた天武天皇が、祭りを行っている時に、天女が現れた、という伝説に基づいている。
天武天皇の妻、持統天皇は、この和歌集の2番目に登場している。
冒頭の天つ風ということばは、天女を連想させる。
風に対する祈りの歌としては、菅原道真の、東風吹かば、という歌を思い出す。
先の参議篁の歌と同様に、他人に対する依頼、願いをテーマにした歌になっている。
宮廷で、大嘗祭や新嘗祭で行われる、五節の舞で舞っている舞姫を、天女にみたてて詠んだ、といわれる。
五節の舞という行事は、吉野に逃れた天武天皇が、祭りを行っている時に、天女が現れた、という伝説に基づいている。
天武天皇の妻、持統天皇は、この和歌集の2番目に登場している。
冒頭の天つ風ということばは、天女を連想させる。
風に対する祈りの歌としては、菅原道真の、東風吹かば、という歌を思い出す。
先の参議篁の歌と同様に、他人に対する依頼、願いをテーマにした歌になっている。
11. 参議篁
小野篁。小野小町との関係は、よくわかってはいない。
遣唐使船を巡って、正史と一悶着を起こし、それを皮肉った歌を作ったことで、嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐の島への島流しにあった。その時の歌。
この歌集の選者といわれる藤原定家は、それとは少し違った状況を経験している。
自分が使えていた後鳥羽上皇は、鎌倉幕府に対抗して敗れ、隠岐の島に流された。始めはその上皇に厚遇された定家だが、その後は、両者の関係は悪化した、といわれている。
続く、文徳天皇からは厚い信頼を受けていた。書の名人としても知られている。和歌よりは、漢詩の方が巧みであったようだ。
遣唐使船を巡って、正史と一悶着を起こし、それを皮肉った歌を作ったことで、嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐の島への島流しにあった。その時の歌。
この歌集の選者といわれる藤原定家は、それとは少し違った状況を経験している。
自分が使えていた後鳥羽上皇は、鎌倉幕府に対抗して敗れ、隠岐の島に流された。始めはその上皇に厚遇された定家だが、その後は、両者の関係は悪化した、といわれている。
続く、文徳天皇からは厚い信頼を受けていた。書の名人としても知られている。和歌よりは、漢詩の方が巧みであったようだ。
11. わたのはらやそしまかけてこぎいでぬと
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね
作者が、天皇の命で、隠岐の島に島流しにされ、その旅立ちの際に詠んだとされる。
前半で、一度意味が切れており、後半は、その前半を受けて、いわば展開部となっている。
最後に、依頼している相手を置いて、体言止めとしている。全体の構成としては、かなり凝った構成。
綿の原、八十島、漕ぐ、海人の釣船など、一貫して海を連想させる言葉を使っている。
作者が、天皇の命で、隠岐の島に島流しにされ、その旅立ちの際に詠んだとされる。
前半で、一度意味が切れており、後半は、その前半を受けて、いわば展開部となっている。
最後に、依頼している相手を置いて、体言止めとしている。全体の構成としては、かなり凝った構成。
綿の原、八十島、漕ぐ、海人の釣船など、一貫して海を連想させる言葉を使っている。
2013年6月21日金曜日
10. 蝉丸
逢坂の関の近くに住んでいた隠者、と言われるが、その生涯は不明。
生き物の名前と、丸という名前から、猿丸太夫、という人物との共通性を感じる。
蝉、という言葉から、この世のはかなさ、が連想され、この歌の内容ともマッチしている。
生き物の名前と、丸という名前から、猿丸太夫、という人物との共通性を感じる。
蝉、という言葉から、この世のはかなさ、が連想され、この歌の内容ともマッチしている。
10. これやこのいくもかえるも
これやこの いくもかえるも わかれては しるもしらぬも おうさかのせき
逢坂の関において、人々が行き交う様子を読んだだけの歌だが、ことばの繰り返しが頻繁に行われ、独特のリズム感を醸し出している。
別れる、知らない同士、という部分が、人生の無常観を暗示している。暗示という点では、1つ前の小野小町の歌との共通点がある。
逢坂の関、という実在の地名があることで、そこに行ったことがある人は、その風景を思い出し、そうでない人は、この歌から情景を想像する。
地名に染み付いたイメージを使って歌を作っている。
前の歌と同様、ここでも、真ん中の、別れては、が効いている。行くも帰るも、という部分と、知るも知らぬも、という部分を、自然につなげている。
逢坂の関において、人々が行き交う様子を読んだだけの歌だが、ことばの繰り返しが頻繁に行われ、独特のリズム感を醸し出している。
別れる、知らない同士、という部分が、人生の無常観を暗示している。暗示という点では、1つ前の小野小町の歌との共通点がある。
逢坂の関、という実在の地名があることで、そこに行ったことがある人は、その風景を思い出し、そうでない人は、この歌から情景を想像する。
地名に染み付いたイメージを使って歌を作っている。
前の歌と同様、ここでも、真ん中の、別れては、が効いている。行くも帰るも、という部分と、知るも知らぬも、という部分を、自然につなげている。
9. 小野小町
持統天皇に続いて登場した二人目の女性の歌人。
女性の歌人としては、日本の歴史の中でも、最も有名な人物の一人。
その生涯は、数多くの伝説の中にある。多くの能や歌舞伎などにも登場している。
自分の美しさを花にかけていたせいで、婚期を逃し、生涯独身に終わった、という伝説を、まさに象徴するような歌が選ばれている。
女性の歌人としては、日本の歴史の中でも、最も有名な人物の一人。
その生涯は、数多くの伝説の中にある。多くの能や歌舞伎などにも登場している。
自分の美しさを花にかけていたせいで、婚期を逃し、生涯独身に終わった、という伝説を、まさに象徴するような歌が選ばれている。
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