つきみれば ちぢにものこそかなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど
『白氏文集』に収録されている漢詩から題材を得て、詠まれたといわれている。
月とわが身、もの悲しいと秋、という対比がされている。この対比は、漢詩での基本的な手法。
和歌と漢詩の特徴を知り尽くした名人による、しかし、そうした事情を知らなくても、十分にその趣を味わえる、名句。
2013年11月21日木曜日
2013年10月12日土曜日
22. ふくからにあきのくさきのしほるれば
ふくからに あきのくさきの しほるれば むべやまかぜを あらしといふらむ
嵐という字は、山と風という字から構成されている。山から吹く風は、草木を荒らしてしまうので、その嵐という字が生まれたのだ、との解釈をそのまま歌っている。
いかにも優雅でお気軽な貴族社会的な内容の歌になっている。
中国の六朝文化の離合詩というジャンルは、こうした文字の造りや意味を扱った作品が多く、その影響を受けたと言われている。
前の歌と同様に、秋をテーマにしている。
秋というと、穏やかで静かなイメージがあるが、この歌では、山風が草木をしおらせてしまう、という激しい秋のイメージを歌っている。というより、次の冬が近づいている、ということなのかもしれない。
嵐という字は、山と風という字から構成されている。山から吹く風は、草木を荒らしてしまうので、その嵐という字が生まれたのだ、との解釈をそのまま歌っている。
いかにも優雅でお気軽な貴族社会的な内容の歌になっている。
中国の六朝文化の離合詩というジャンルは、こうした文字の造りや意味を扱った作品が多く、その影響を受けたと言われている。
前の歌と同様に、秋をテーマにしている。
秋というと、穏やかで静かなイメージがあるが、この歌では、山風が草木をしおらせてしまう、という激しい秋のイメージを歌っている。というより、次の冬が近づいている、ということなのかもしれない。
21. 素性法師
素性法師は、遍照法師の出家前に設けた子。
当初は宮廷人を務めていたが、後に、父と同様に出家した。
宇多天皇の庇護を受けていたという。
古今集では、四番目に多く歌が採用されている。
それにしても、僧侶で歌人というパターンが多い。皇族や貴族から僧侶になる場合は、真面目に仏道を行うのではなく、歌や書などの世界に力を入れたのだろう。
当初は宮廷人を務めていたが、後に、父と同様に出家した。
宇多天皇の庇護を受けていたという。
古今集では、四番目に多く歌が採用されている。
それにしても、僧侶で歌人というパターンが多い。皇族や貴族から僧侶になる場合は、真面目に仏道を行うのではなく、歌や書などの世界に力を入れたのだろう。
21. いまこむといひしばかりにながつきの
いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいづるかな
実に、わかりやすく、そして、読みやすい歌だ。
解釈については、選者といわれる定家は、いつのまにか秋になってしまった、という、長い期間を待ち続けた、という解釈をとっている。
一般的には、一晩待っているうちに、有明の月が出て来てしまった、という、一夜の出来事、という解釈が行われている。
恋する人の言葉を信じて待ち続ける女性。秋の夜。有明の月。あまりにも、紋切り型になりがちな題材を使い、これほどの歌にしたてるあたり、かなりの技術力の高さが感じられる。
実に、わかりやすく、そして、読みやすい歌だ。
解釈については、選者といわれる定家は、いつのまにか秋になってしまった、という、長い期間を待ち続けた、という解釈をとっている。
一般的には、一晩待っているうちに、有明の月が出て来てしまった、という、一夜の出来事、という解釈が行われている。
恋する人の言葉を信じて待ち続ける女性。秋の夜。有明の月。あまりにも、紋切り型になりがちな題材を使い、これほどの歌にしたてるあたり、かなりの技術力の高さが感じられる。
20. わびぬればいまはたおなじなにはなる
わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ
この身を尽くしても、あなたに会いたい、という激しい恋を歌っている。
前の歌と違い、こちらは、最初と最後に心情が歌われ、間に情景が入って、それが後半の心情表現との掛詞になっている。
”澪標”と”身を尽くす”というシャレになっており、澪標という言葉自体が、恋する相手のために身を捧げる、という意味にもなっている。
前の歌と同じく、難波を舞台に、激しい恋の思いを歌っている。難波という土地には、そうしたイメージがあったのだろう。
冒頭の、わび、という表現は、後世の侘び、とはかなり意味が違っている。
この身を尽くしても、あなたに会いたい、という激しい恋を歌っている。
前の歌と違い、こちらは、最初と最後に心情が歌われ、間に情景が入って、それが後半の心情表現との掛詞になっている。
”澪標”と”身を尽くす”というシャレになっており、澪標という言葉自体が、恋する相手のために身を捧げる、という意味にもなっている。
前の歌と同じく、難波を舞台に、激しい恋の思いを歌っている。難波という土地には、そうしたイメージがあったのだろう。
冒頭の、わび、という表現は、後世の侘び、とはかなり意味が違っている。
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