2013年6月10日月曜日

7. あまのはらふりさけむれば

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも

望郷をテーマにした歌。

異郷の地で月を見て、故郷の景色を思い出すという趣旨だが、その主題の月を、最後に持ってきていて、短い歌の中に、ストーリー性を生み出している。

天の原は、前の歌の解釈を天の河とみれば、前の歌とのつながりが読み取れる。

天の原という一般的な名称と、春日の三笠の山、という具体的な地名を並べているのが面白い。

物語の背景を知れば、唐の地ということになるが、場所は特定されていないので、別な場所を想定することもできる。

かも、と最後に言い切っていないのが、この歌を嫌味のないものにしている。

2013年6月9日日曜日

6. 大伴家持

歌集には、中納言家持とある。

大伴旅人の息子で、万葉集の編者といわれており、父親とともに、多くの歌が万葉集に採用されている。

大伴という家は、古くらかの豪族で、勢力を誇っていたが、次第に、藤原氏に権力を奪われていった。

家持の子孫の、伴大納言の代になり、謀反の疑いをかけられ、完全に失脚してしまう。

この歌に物悲しさを感じるのは、そのせいかもしれない。

6. かささぎのわたせるはしに

かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける

前の歌に続き、ぞ、という言葉で、意味を強調する手法が使われている。

橋の意味について、地上の橋か、天の川か、解釈が分かれるという。

鵲という鳥の名前で始め、そこであるイメージを読む人の心に作らせる。

その後、橋に焦点が移り、さらに、その橋の上の霜に視点がいき、最後に情景が読まれる。映像にできそうな、見事な描写。

2013年6月8日土曜日

5. 猿丸太夫

どんな人物なのか、構成には全く伝わっていない、謎の人物。

実在しなかったとか、別な人物の仮の名ではないかなど、いろいろと言われている。

猿という名前で、奧山の歌、ということで、山に何かの縁のある人物かと、連想してしまう。

5. おくやまにもみじふみわけ

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

この歌集の中でも屈指の名歌。

紅葉の視覚、鹿の声の聴覚、そして、もの悲しい、という感情、が見事に調和している。

おくやま、もみじ、なく、しか、こえ、あき、かなし。いずれも、あまりにも当たり前すぎる言葉だが、それを組み合わせることで、これだけの名歌が生まれる。

また、わずかこれだけの言葉で、いかの多くのことが表現できるか、の見本といえる。

4. 山部赤人

柿本人麻呂とともに詩聖と讃えられる、万葉集のスーパースター。

時代は、人麻呂よりやや後の、聖武天皇の時代に活躍した。

この歌や吉野を歌った歌などがあり、旅を多くしたといわれる。聖武天皇にいつも随行していた、ということも言われている。

山部という名前から、山に何か関係のあった役職だったのかもしれない。

4. たごのうらにうちいでてみれば

たごのうらに うちいでてみれば しろたえの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

いきなりの字余りが、2つも続いて始まる。

そして、何よりも持統天皇の歌との共通性を強く感じる。白妙という枕詞、富士山という特定の山の名前。

万葉集では、富士山を讃える長い歌の反歌として紹介されており、昔から神聖な山として、富士山が扱われていることがわかる。

富士の高嶺に雪は降りつつ、はそのまま読むと、まるで頂上に雪が降っている情景を見ているように解釈でき、前半の部分と整合性がない。

うち出でての、うち、という言葉がよく効いている。田子の浦から、目前にそびえる富士山を仰ぎ見ている、という感じがよく出ている。