2013年11月27日水曜日

24. 菅家

菅家、ご存知、天神様の菅原道真。

自分を取り立ててくれた、宇多天皇が上皇になってからの奈良への行幸に随行したときの歌。

神に紅葉を手向ける、というシチュエーションは、後に天神様となる道真を意識して、この歌が選ばれたのかもしれない。

東風吹かば・・・の有名な歌が、春の歌であるのに、この歌集に選ばれたのは秋の歌。そうした部分にも、選者の意図が感じられる。

24. このたびはぬさもとりあへずたむけやま

このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに

神に祀るための幣がないので、代わりに、目の前にある美しい紅葉を、お収めします、という内容の歌だが、技巧が随所に取り込まれている。

このたびは、この度とこの旅。たむけやまは、手向ける、という行為と手向山。

最後の”まにまに”は、どうしてまにを続けたのだろうか。しかし、この繰り返しが、不思議な感覚を与える。

前の歌が、一人寂しい秋の歌だが、この歌は、一転して、華やかなイメージの秋の歌になっている。

2013年11月21日木曜日

23. 大江千里

在原業平、行平の甥子。

あまり詳しいことがわからない人物だが、その名前は、よく知られている。

23. つきみればちぢにものこそかなしけれ

つきみれば ちぢにものこそかなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

『白氏文集』に収録されている漢詩から題材を得て、詠まれたといわれている。

月とわが身、もの悲しいと秋、という対比がされている。この対比は、漢詩での基本的な手法。

和歌と漢詩の特徴を知り尽くした名人による、しかし、そうした事情を知らなくても、十分にその趣を味わえる、名句。

2013年10月12日土曜日

22. 文屋康秀

文屋康秀の文屋、という名字は、他に聞いたことがない。

家自体は、低い身分の家だった、という。

しかし、文屋康秀は、古今集の仮名序にも登場するほどの、歌の名手だった。

22. ふくからにあきのくさきのしほるれば

ふくからに あきのくさきの しほるれば むべやまかぜを あらしといふらむ

嵐という字は、山と風という字から構成されている。山から吹く風は、草木を荒らしてしまうので、その嵐という字が生まれたのだ、との解釈をそのまま歌っている。

いかにも優雅でお気軽な貴族社会的な内容の歌になっている。

中国の六朝文化の離合詩というジャンルは、こうした文字の造りや意味を扱った作品が多く、その影響を受けたと言われている。

前の歌と同様に、秋をテーマにしている。

秋というと、穏やかで静かなイメージがあるが、この歌では、山風が草木をしおらせてしまう、という激しい秋のイメージを歌っている。というより、次の冬が近づいている、ということなのかもしれない。

21. 素性法師

素性法師は、遍照法師の出家前に設けた子。

当初は宮廷人を務めていたが、後に、父と同様に出家した。

宇多天皇の庇護を受けていたという。

古今集では、四番目に多く歌が採用されている。

それにしても、僧侶で歌人というパターンが多い。皇族や貴族から僧侶になる場合は、真面目に仏道を行うのではなく、歌や書などの世界に力を入れたのだろう。